カホコのどうしようもない毎日diary🌟

怠けること以外何の取り柄もない24歳の女の醜態をとくとご覧あれ

母との確執の話

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こんにちは💁‍♀️

無職女のカホコです✨

 

最近時間があるもので、自然と過去のことを振り返ることが多かなってきました。

 

その中でも、私は圧倒的に母との出来事をよく思い出します。

 

私は、決して不幸な生い立ちではありません。

ですが、とてつもなく幸せな家庭でも無かったように思うのです。

 

家族構成は、亭主関白の父と、ヒステリックな母、我が強いのに何も言わない私、歪んだスポーツバカの弟の4人家族です。

 

父は仕事第一であまり家庭を顧みない人だったので、小さい頃の記憶は母と過ごした時間のことばかりです。

 

母は常に余裕のない人で、何でも自分の思い通りにしないと気が済まないというフシがありました。

子供のために何でもしてあげたいという情熱を持て余して、比較的何でも卒なくこなす私に押し付けてくるのです。

 

私は小学生の頃は週7で習い事をしており、友達と遊んだ記憶はありません。

母に辞めたいと訴えかけても、

『小学校卒業まではするっていう約束でしょ。』

と身に覚えのない約束を取り付けられて、取り合ってもらえませんでした。

 

とにかく母は私に優秀な子供であることを望みました。

 

私はクラシックバレエもピアノもバイオリンも塾も母のために通いました。

辞めたいというと、ヒステリックを起こして面倒なことになるのが目に見えていたからです。

本心は嫌で嫌で仕方ありませんでしたが、幼かった私は母に反抗する術さえ知らなかったのです。

 

習い事という面から見ると、私はすごく手をかけられて愛されていると思われると思いますが、実際のところは少し違います。

 

母は弟を異常に可愛がる傾向にありました。

 

弟も母の扱いがうまく、自分のペースで母とコミュニケーション取っていました。

 

反対に私は母との相性は最悪でした。

私が口を開けば母は怒り、一方的に決めつけられて罵られることばかりでした。

 

愛されてはいたと思います。

でも、それを望まない私はきっと贅沢なんだと思います。

 

大きくなって、母は私に

『あれだけ習い事させてあげたのにパッとしなかったねえ。』

と言ったことがあります。

 

さすがに腹が立ちましたが、言い返すと面倒なので何も言いませんでした。

私はもう母には何も期待していないので、いい娘を演じています。

 

今になって思うのは、母も必死だったのだろうと言うことです。

家庭を顧みない父と結婚し、馴染みのない大阪での子育てに疲れており、矛先が私に向いたのだと思っています。

頼れる人も他にいなかったこともわかっています。

 

でも、だからといって私は意外と子供の頃に母に言われたこと、されたことを覚えています。

トラウマになった出来事もあります。

一生忘れないのかもしれません。

 

ふとしたときに、ドロドロと湧き上がる怒りをどう対処していいのか分からないことがあるのです。

 

でも、皆さんのブログやツイッターを見ていると私は結局恵まれたお嬢さんなんだなとも思います。

結局私が子供なんでしょうね😅💦

 

実際母に助けられたこともあるのに、子供の頃のことが許せないなんておかしいですよね。

 

今まで口に出すこともできなかった感情ですが、向き合わなければと思いブログに書きました。

暗い話で申し訳ないです。

 

次回はもっと明るい話題のブログを書きますね👍

ではまた次回✨